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珍島イヤギ・・・イヤギってなあに?

珍島イヤギ・・・イヤギってなあに?

2015年 神秘の海割れ日程表

* 海割れはピーク時間の前後30分、約1時間が海割れ現象のある時間です。
潮の高低はマイナス数字が多いほど潮が引く、
つまり海割れ現象が大きいのです。
(-5)以上の数字を目安にしてください。

でもあくまでも海割れは自然現象です。

冬場は北風が吹くので陸から海に海水を押し出すので
マイナス数字が少なくても海割れ現象はありますが、
夏場は逆に海から陸に向けて風が吹くので海割れ現象は弱くなります。
そして雨が降ったり悪天候だと海割れ現象は弱くなり、
だいたいはマイナス5以上をめやすにし、冬と春は明け方の海割れです。
時間に注意し、日の出前だと暗くて危ないので注意してください!!!

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「ポンおばあさんの伝説」
むかし、むかしのこと・・
当時の回洞村には虎が時々出没し、家畜が食い殺されることがありました。
そしてある時から虎は人を襲うようになったのです。
それで仕方なく村人はいかだに乗って対岸の茅島という島に避難しました。

しかしポンお婆さんだけが取り残されてしまったのです。
ポンお婆さんは別れた家族に会いたくて、
毎日毎日、海の龍王様に祈りをささげました。
ある日のこと夢の中に龍王が現れ「明日、虹をかけるから海を渡るがよい」
と言ったので、茅島の見える海岸に出て祈りを捧げていました。

すると突然、対岸の茅島まで虹のように海の中に道が現れたのでした。
茅島に逃れていた村の人々はこの光景を見て不思議な思いに駆られ、
虎が出てこないようにと銅鑼と鉦を鳴らしながら海の道を
渡って回洞村へと走っていったのです。

そこではポンお婆さんが祈っていました。
しかしポンお婆さんは村人や家族の姿を見ると
「龍王さま、私の祈りを聞いてくださりありがとうございました。
海の道が開き、みんなに会うことが出来ました」といいながら倒れ、
そのまま息を引き取ってしまったのです。

これを見た村人たちは祭司を執り行い、
毎年ポンお婆さんを祭ることにしたのです。
その後子供のない人、
愛をかなえられない人が祈れば願いが叶うと言い伝えられています。


*「来年度海割れは?」という質問を多く受けます。
海割れ日程は仁川にある国立海洋調査院に依頼して
あくる年の365日分、つまり1年分の資料をもらいます。
そこには毎日の干潮・満潮時間が記録されていて、
その資料からマイナス数字のある日と時間を抜粋し
一年分の海割れ日程表を作成するのです.

*「海割れ祭りの日程は?」
この一年分の日程表と、過去の日程表を根拠に
「神秘の海割れ祭り推進委員会」の委員達が集まり
次の年始めに祭りの日程を決めます。
海割れは自然現象なので毎年日程が変更するのが一番の悩みです。


*なんで「霊登祭りでなく、神秘の海割れ祭り」なの?
霊登(ヨンドン)は陰暦の2月に使う用語です。
それで「霊登祭り」は合わないと「神秘の海割れ祭り」になりました。


*「霊登サリ」ってなあ~に!
まあ漢字のとおり「霊が登る!」の意味です。

他の意味は「新増東国輿地勝覽」という本の中に
済州島のキドクとキムリョンでは2月1日に12個の木簡を立て祭祀を行い、
これを「霊登」という!とあり、この祭祀は2月15日まで行います。

済州島はこの霊登祭祀を内容を
2月1日に霊登お婆さんが天から下り海辺を回りながら、
海女が1年間収穫する海草やアワビ、貝などの種を撒き15日に天に帰る!と
いう民間信仰が伝えられていました。

陰暦の2月1日になると雨が降り強風が吹きます。
自然の全ての現象を天の業と信じる漁民は2月の風を神風とし
この神を崇めることが1年の生活を左右すると考えたようです。

この民間信仰は済州島と交流が深い全羅南道と慶尚南道の海岸地帯に伝わり、
この霊登お婆さんを珍島では「ポンお婆さん」と名づけ祭祀を行っています。

資料:珍島文化・珍島の自慢より(郷土文化振興会発行)


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